玉春日
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関連Q&A
- もしも若ノ鵬が解雇されて十両・前頭に1人欠員が生じそうな場合、新たに新十両を昇進させてこれを補うことってありえるのでしょうか?それとも幕下陥落予定者を1人残留させて数を合わせるのでしょうか?先場所の番付(http://sumo.goo.ne.jp/hon_basho/index.html)を見て個人的に予想してみました。幕内から十両陥落:玉春日(11枚目で3勝12敗)、光龍(13枚目で3勝12敗)、土佐ノ海(14枚目で5勝10敗) 廃業:若ノ鵬↓↓↓↓ ↑↑↑↑十両から幕内昇進:玉鷲(筆頭で9勝6敗)、春日王(2枚目で9勝6敗)、北太樹(4枚目で11勝4敗)、武州山(8枚目・12勝3敗で十両優勝)十両から幕下陥落:片山(9枚目で2勝13敗)、若荒雄(10枚目で5勝10敗)、玉飛鳥(13枚目で5勝10敗)↓↓↓ ↑↑↑幕下から十両昇進(確定済):山本山、安壮富士、若天狼幕下から十両昇進次点:翔天狼(東の4枚目で4勝3敗)、もしくは鳥羽の山(西の6枚目で5勝2敗)次点のどちらかを昇進させるか、若荒雄あたりを残留させるか、それとも番付に穴をあけるか・・・・。
- 現在は番付編成会議が終わり行司が番付表の下書きを作っている時期なので番付を変えることはありません。時津海のように番付が空欄になるという意見がありますが、それも違います。時津海は解雇された前時津風親方のかわりに時津風親方として記名されたため時津海とかかれるはずのところが空白になっただけです。基本的に番付編成会議後に引退した力士は次の場所までそのままかかれます。
- 戦後に「荒法師」の異名を取り、櫓投げや掬い投げを得意とした異能力士・玉乃海代太郎関(先代片男波親方、横綱玉の海の師匠)の情報をお願いします。昭和時代、戦中・戦後にまたがり活躍した「荒法師」こと元関脇・玉乃海代太郎関(先代片男波)の情報で解らない事があります。以下の質問の回答ご存知の方、情報をお願いします。①彼が17歳の時酒に酔っ払い憲兵をボコボコにして(普通この時点で死ぬ)命が助かる変わりに陸軍に入れられ、ガダルカナルやテニアン、サイパン、満州と玉砕の戦場を転戦させられ九死に一生を得たということは知っておりますが、彼が陸軍時代にどの部隊にいたか、気の荒い彼がやらかした事件(例えば気に食わない上官を殴ったとか。何もないとは思えない)など、その詳細な情報がわかりません。ウィキペディアを見る限りかなり大暴れしたようですが。②シベリア抑留時、ラーゲリ(収容所)からどうやって逃げ出せたのか、また中国人に化けて広い満州を下ったらしいが、そのときの詳細な行動がわかりません。香月泰男氏の絵に代表されるようにあの絶望の大地からよく逃げ出す気力があったなと思います。あまりにタフすぎてその詳細な行動を知りたくなりました。③命あって日本に帰ってきて角界に復帰するまでの行動。地元・大分市にある日立造船の相撲部や愛媛県野村町(玉春日の故郷)で相撲のコーチをしていたとの情報は得ていますが、それ以外がわかりません。どなたか教えて下さい。④そして復帰後・親方としての行動。相変わらず酒を飲んで大暴れしていたようですが。以上4つの疑問、一つでもご存知の方、重ねて情報をどうぞお願い致します。
- 「たまのうみ」というと相撲解説の玉ノ海梅吉や第51代横綱玉の海を想起しますが片男波の玉乃海も逸話の多い相撲取でした。①> 憲兵をボコボコにして命が助かる変わりに陸軍に入れられこれは事実とは違うようです。上海での皇軍慰問巡業中に酒席で現地人と喧嘩になり、止めに入った憲兵を叩きのめし駆けつけた憲兵隊により逮捕されます。憲兵隊の処分は銃殺刑でしたが、玉錦から替った新しい師匠である玉ノ海の必死の嘆願により「厳重謹慎」に留まり、その代わりに二所ノ関から破門、廃業となりました。内地に帰ってきてから暫くは放蕩の身で荒れた生活だったようですが、経緯は不明ながらその後、海軍軍属に徴用され激戦地に配属。戦局が厳しさを増す昭和18年2月に前線より救出されるものの、マラリヤ、アメーバ赤痢によって瀕死状態で長期入院。②その後、再び戦地へと召集され、満州の奥地で終戦、シベリア抑留。脱走の詳細は不明。シベリアからは貨車に潜み中国領へ入ったということだけが伝わっています。中国では清掃作業をしながら食い繋ぎ昭和23年に復員。③体力が戻ったのは昭和24年頃と言われていて、その後、土木作業などをしながら戦後の混乱期に存在したセミプロ集団に参加。関西・四国などを転々としている中、アマチュア相撲の指導者に迎えられます。その噂が師匠の耳に届いたのか、昭和25年に師匠より破門を解かれ上京。④相撲界復帰は昭和25年5月場所。番付は幕下付出しで12勝3敗の同点。その後、師匠の四股名の玉ノ海をもらい27年9月に幕内昇進。酒席での武勇伝は片男波になってからも枚挙に暇はなかったそうです。酒乱は相変わらずで、昭和53年には長年労苦を支えた夫人とも離縁しています。晩年は体を壊し、好きな酒も呑めなかったようです。
- 大相撲 全勝が一番早く消えたのは?大相撲 全勝が一番早く消えたのは?今場所荒れていて、全勝は1人だけとなりましたが、全勝が一番早く消えた場所は、何日目なんでしょうか?昨日、玉春日が負けていたら、記録になるんじゃないのかなぁと思っていました。
- 私の知っている限りですが、平成4年初場所、4連勝の貴ノ浪、鬼雷砲が5日目に負けたことにより、幕内力士の全勝はいなくなりました。
